伊藤紺さん連載【1週間のタオル】母に贈りたくなるタオル。土曜12時の「<しあわせの今治ガーゼ>ガーデニア」
2022.10.21
楽しむうれしいときも、さみしいときも、疲れきったときもそばにいてくれるタオル。日々を生きる心と身体をふわっとやさしく包みます。
歌人の伊藤紺さんが綴る、あなたに寄り添うタオルの物語。今回の舞台は土曜12時。実家を離れたばかりで、公私共に環境が変化した女性のお話です。
*****
それは知っている香りだった。異国を思わせる甘さと記憶をすり抜けぬけていくような爽やかさ。自分に名前がいくつかあるとしたら、その中で一番古い名前を呼ばれたような、驚きと興奮のうちに顔をあげる。そこには小さな、見たことのある白い花が静かに、そして満ち足りた顔をして咲いていた。
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待ちに待った土曜日。転職のために上京して一ヶ月、ちょうどいろいろな疲れが溜まってきた頃だった。新しい職場は自由で活気があって、理想的な環境ではあるものの、そのぶん今はまだ気を使うことが多い。先週の週末は実家に必要な荷物を取りに戻っていたので、1日中何の予定もない日は2週間ぶりだった。新居もやっと片付けが終わり、馴染みつつある。今日こそはのびのびと、とにかく休もうと楽しみにしていた休日だったのだ。
遅めの朝ごはんを食べてぼーっとテレビを眺めているとき、職場の同僚が教えてくれたコーヒー屋に行ってみようと思いついた。このあたりでは少し有名な店らしい。靴箱にしまってある底の平たいスニーカーを取り出す。普段職場にはパンプスを履いて行くので、スニーカーを履くと無性にうれしくなる。それはいま、自分が自由であることがはっきりと感じられるような、その感覚がみるみると全身に広がっていくような、意外にもとても大きなうれしさだった。
駅に向かういつもの大通りを途中で曲がって、初めての路地に差し掛かったとき、わたしはその香り…その花と出会った。一瞬思い出せなくて、頭の中がぐるぐると回転する。数秒後、頭の中に実家の絵がくっきりと浮かんだ。そうだ、実家の庭の一角に母が植えていた花だ。ずっと昔からあるが、名前を知らない。いつもなら「また今度母に話そう」と、すぐに忘れるのだけど、なんだか妙に気になってしまって、わたしはめずらしく母に電話をかけていた。
「あ、お母さん。ね、うちの庭の右の奥に昔からある、あの白い花ってなんていうの?」
「え、どれだろ。ああ、ガーデニア? クチナシとも言うけど。なんで?」
「なんか新居の近くで、懐かしい匂いすると思って見たらそれだった」
「そう。いい匂いよね。昔、お父さんがくれたことがあって。『アメリカでは男性が女性に送る人気の花なんだ』とかなんだとか言って。ほら、お父さん留学してたから。まあお父さんはどうでもいいんだけど、それであの匂いが好きになって」
母は、淡々と答えた。
「あんたはめったに庭に出ないもんね。お母さん多分一番好きな花よ」
そういえば、と先週会ったばかりなのに、新たな近況をしゃべり始めたので、コーヒー屋に着くまで、世間話の聞き役をして電話を切った。カウンターにあるメニューの一番上に大きめの文字で書かれていた特製ブレンドをテイクアウトで注文し、外のベンチに座る。晴れた空と道路を眺めつつ、なんだか懐かしいことばかりを思い出していた。
母はいつも家にいたが、座っている時間が極端に短くずっと動いているタイプの人だった。家の中の掃除をはじめ、庭の雑草刈りや葉や花の剪定まで、「こういうことが一番大事」と毎日せわしなく動き回っていた。
空間というものが、ある程度時間をかけてきちんと整えていないと、案外すぐに暗くなるということに気づいたのは、新卒で会社に就職し一人暮らしを始めたときだ。ちょっと手を抜くだけで床にはほこりが溜まり、買ってきた花はすぐに枯れ、冷蔵庫の中だって気づけばからっぽ。実家という、あのまるごとのシステムのひとつひとつ、そこから生まれる明るさや安心感のすべてが、母の手で支えられていたということに本当の意味で気づいたとき、そのすごさを思い知った。そして同時に感謝した。少し考えすぎなところがあるわたしが、沈みすぎることなく、前向きに、かつのほほんと生きてこられたのは、間違いなく母が作り出した実家の安定感のおかげだと気づいたからだ。その頃、わたしは精神的に参っていたのだ。
コーヒーを受け取る。香ばしい匂いと手にうっすら伝わってくる熱が心地いい。来た路地を抜けるとき、ガーデニアの匂いとわたしのコーヒーの匂いが混ざり合った。大きく息を吸いながら、通り過ぎて行く。数年前のことを思い出して、心身ともに健康であることの素晴らしさを思う。
いい店といい道を知ったなあと思いながら、角を曲がって大通りに出た時、ふとその文字列が目に飛び込んできた。タオル専門店のショーウィンドウ、そこにたしかに「ガーデニア」の文字。おお、 偶然! と思うと同時に、自分がこれまで気づかなかっただけでわりと有名な花なのかもしれないとも思った。<ガーデニア>と名付けられたそのタオルは一面に花模様があしらわれていて、ふわっと平和な気持ちになるデザインだった。店に入り、さわってみると、さらっとしたガーゼ生地の繊細さとふわふわのタオル地のボリュームがすごく気持ちいい。商品の隣にはこう説明書きがあった。
「『とても幸せ』『喜びを運ぶ』の花言葉を持つガーデニアの白いお花がモチーフとなっており、大切な方への贈り物にお勧めです」
たまには母にも“喜び”を運んであげよう。わたしはそれを持ってレジに向かった。
家に着き、クローゼットを開ける。引っ越しを友達に手伝ってもらったので、何がどこにあるのか、まだいまいち把握できていなかったが、おそらくここだろう、という必要度の低そうなケースに、レターセットはまんまと入っていた。数年前の母の日に買って一通使って以来、そのままになっていたものだ。数年ぶりに書くのに同じ便箋もどうか…と一瞬思ったが、まあいいだろう。今書きたい。
手紙(といっても、便箋のほんの半分ほどに感謝を伝えただけだけど)とタオルを手頃な箱に入れ、ぴたっと封をした。まだ少しだけ残っていたコーヒーをぐっと飲み込む。なんだか心が晴れ晴れしていた。時刻は12時。あとで散歩がてらコンビニに行って、これを実家へ発送しよう。そのあと映画を観に行くのもいいし、溜まってる本を読むのもいいし、夜から友達と会うのもいいな。母に贈り物をする、そのことでわたしは自分までちょっと幸せな気持ちになっていた。今日はいい日になりそうだ。
<今回のタオル>
歌人・コピーライター
伊藤紺さん
2019年歌集『肌に流れる透明な気持ち』、2020年短歌詩集『満ちる腕』を刊行。ファッションブランド「ZUCCa」2020AWムックや、PARCOオンラインストアの2020春夏キャンペーンビジュアル、雑誌『BRUTUS』『装苑』等に短歌を制作。2021年浦和PARCOリニューアルコピーを担当。過去連載に写真家・濱田英明氏の写真に言葉を書く、靴下屋「いろいろ、いい色」。(Instagram/Twitter)
2019年歌集『肌に流れる透明な気持ち』、2020年短歌詩集『満ちる腕』を刊行。ファッションブランド「ZUCCa」2020AWムックや、PARCOオンラインストアの2020春夏キャンペーンビジュアル、雑誌『BRUTUS』『装苑』等に短歌を制作。2021年浦和PARCOリニューアルコピーを担当。過去連載に写真家・濱田英明氏の写真に言葉を書く、靴下屋「いろいろ、いい色」。(Instagram/Twitter)
Photo | Ryo Tsuchida
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