伊藤紺さん連載【1週間のタオル】2人の未来を包む日曜18時の<watairo rich(もちわた)>
2023.10.04
楽しむうれしいときも、さみしいときも、疲れきったときもそばにいてくれるタオル。日々を生きる心と身体をふわっとやさしく包みます。
歌人の伊藤紺さんが綴る、あなたに寄り添うタオルの物語。今回の舞台は日曜18時。仕事に邁進してきた2人が、覚悟を決め、会話を重ね、未来を約束したお話です。
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風がひんやりとして、空が高い。よく晴れているのに胸はさらさらと切なく、夏はもうひとかけらも残っていない。店の中はガラガラなのに、テラス席はどこも満席。誰もがこの気候を味わうために、わざわざ外で飲み物を飲んでいる。美しい秋。
「いやー、よかったね」
夫の洋介がしみじみと言う。
「俺、けっこう泣いちゃった…」
そう言いながら色付きのメガネを上げた洋介の目はたしかに赤く腫れていた。ついさっき映画館の隣の席で肩を震わせていたので、気づいてはいたけど。見かけによらず純粋で涙脆(もろ)いところも、好きなところだ。
出会った日も、洋介は泣いていた。
3年前、友人に昔好きだったバンドのライブに誘われてのこのこついていくと、彼女はもう1人、わたしと同じ境遇の友人を連れてきていた。それが洋介だった。
ライブ中、あまりにも素晴らしくて、たまらず2人のほうを見ると洋介が大泣きしていた。自分と同い年の男性がこんなにぼろぼろ泣いているのを見たのは初めてだったので面食らったが、嫌な気はまったくしなかった。
むしろとても自然なことのように思えた。人目もはばからずぼろぼろ泣く洋介と、その姿に不思議と目が吸い寄せられてるわたし。秋の夜、それは特別な出会いだった。
その後、わたしと洋介はたくさんの話をした。
昔、音楽が好きだったこと、就職後は仕事一筋になり、ライブにはほとんど行けていなかったこと、そして仕事もだいぶ自由できるようになってきたこれからの人生に、あのライブの日のようなすばらしい日を増やしていきたいと思ったこと。
驚くほどある、お互いの共通点について。39歳、わたしたちの人生のタイミングはぴったりと合っていて、あれよあれよと言う間に交際が始まり、その後1年で結婚した。今日は、結婚2年記念日のデートだった。
「なんかさ、“老夫婦の愛の日常”なーんて言うから、もっとほのぼのした映画かと思ってたよ」
「別々の人間が共に生きていく覚悟…みたいな話だったよね。わたしもうるっときたなあ」
「覚悟か、わかるかも。なんか綾ちゃんと家具選んでる時とかにも感じるんだよね。俺ら何買うにしてもいつもすごい話し合って、一緒に選ぶじゃん。
綾ちゃんと今の家でこの暮らしを続けていくっていう覚悟をひとつ決めているから、あれだけ本気で話し合えるわけで。そうして迎えた家具とかって本当にかわいくて愛しくて。今まで仕事ばっかりでプライベートに覚悟をもって生きてこなかったから新鮮だし、すごく調子いいんだよね」
ああ、わかるなあ、と思いながら、少しぬるくなったラテを口に含んだ。それぞれ自由な一人暮らしをしていたわたしたちは、結婚と同時に一緒に住み始めたのだが、インテリアにおいて清々しいほど無知だったので、ひとまずお互いの家のものを持ち寄り、その後時間をかけて家具や雑貨を買い替えたり、買い足したりしていた。
話し合いを経て、2人の意見が1つの家具にまとまっていくのはすごくおもしろい。
わたしの家でも、洋介の家でもなく、2人の家があるということがわたしの中でとても大きく、今は仕事よりずっと自分の深い場所に根ざしている感覚があった。そしてそれは人生を明らかにプラスにしていた。
ふとスマホでなにやら調べていた様子の洋介が言った。
「ねえねえ、映画で金婚式の話してたじゃん。50年目は金婚式で、そういえば2年目ってなんなのかなって思って調べたんだけど、綿だって。綿婚式」
「コットンってこと?なんかかわいいね。まだまだ金には足元にも及ばず…」
「タオルとかパジャマとか贈ったりするらしいよ」
「あ、タオルほしいかも」
タオルはこれまで特にこだわりがなく、持ち寄った物をずるずる使っていたのだが、最近だいぶ固くなってきて、替え時かなと思っていたのだ。
「タオル一式買おうよ。バスタオルとフェイスタオル。ホテルみたいに全部統一してさ」
「いいね。ディナーまでまだ時間あるし、今日見に行っちゃう?」
「行こう。いいのがあったら、家に送っちゃおう」
洋介のこういうフットワークの軽さが好きだ。そしてそれが気遣いではなく、思いついたら本当に行きたそうなところも。
洋介が調べてくれた、近くのタオル専門店には、当然だけどタオルばかりがずらーっと並んでいて、少し緊張した。
こんなにたくさんタオルがあって、自分たちに選べるのだろうか…。という懸念は、やさしい店員さんに促され、実際に触ってみるとすぐに吹き飛んだ。
同じタオルのはずなのにそれぞれ軽さや質感がまったくちがう。こんなにわかりやすく違うんだ…タオルも奥深いんだな…と感心しながら、じっくり時間をかけて物色し、最終的に、洋介が最初に提案した<watairo rich(もちわた)>というタオルを選んだ。
大胆なほどにふっくらと分厚くて、真っ白で、握り込むと柔らかいのに、ぎゅっと弾力もある。まさに、いいホテルのタオルみたい。
暮らしの質を求めはじめて気づいたことの1つに「ものは実際に見るに限る」というのがある。
わたしは普段ガーゼのような薄めのタオルが好きなのだが、実際に見て、触って、<watairo rich(もちわた)>が家に来るところを想像したら、ふわっと明るい気持ちが芽生えた。
このタオルで毎晩体を拭く自分を想像するとうれしかったのだ。いいものには、心が動く。どんなに高級でも、どんなに人気でも、心が動かなければそれは自分にとっていいものではない。だからなるべく実際に見るほうが絶対にいいのだ。
何枚買おうか、と悩んでいたら、店員さんが「タオルの寿命は洗濯100回が目安」と教えてくれた。なので、2人で7枚買って1日1度洗えば…ちょうど1年くらいもつということになる。
「えー。知らなかった! たしかにうちのタオルもうぼそぼそだよね(笑)」
「ちょっと、はずかしいからやめてよ…。すみません。そしたら、もちわたのフェイスタオルとバスタオルを7枚ずつください」
感じの良い店員さんがにこっと笑って、丁寧に丁寧にタオルを包んで、発送の準備をしてくれた。
外に出ると、さっきよりずいぶん日が落ちていた。気温も下がって、空気に木や土の匂いが少しだけ混ざり、たっぷりと季節が漂っている。
2人でいいものを選んだあとはいつも満ち足りた気分になった。
「寿命とかあるんだね」
歩きながら、洋介が続ける。
「今日買ったタオルが1年で寿命になるわけでしょ。結婚記念日のたびにタオルを買い替えたらいいんだね」
「毎年、記念日あたりで一緒に新しいタオルを買いに行こうよ」
「いいね、そうしよう」
ビルの向こうに、日が沈む直前の、赤やオレンジやピンクを全部含んだような空がうるうると燃えている。わたしたちのお腹はちょうどよく空いていて、これからおいしいディナーが予約してあって、数日後には2人の家に今日のタオルがたっぷり届く。
その後は毎日、あのタオルで体や顔を拭く。わたしは、洋介と、そして自分自身に感謝していた。喜びの粒が降ってくるような、幸せな夕刻だった。
<今回のタオル>
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歌人・コピーライター
伊藤紺さん
2019年歌集『肌に流れる透明な気持ち』、2020年短歌詩集『満ちる腕』を刊行。ファッションブランド「ZUCCa」2020AWムックや、PARCOオンラインストアの2020春夏キャンペーンビジュアル、雑誌『BRUTUS』『装苑』等に短歌を制作。2021年浦和PARCOリニューアルコピーを担当。過去連載に写真家・濱田英明氏の写真に言葉を書く、靴下屋「いろいろ、いい色」。(Instagram/Twitter)
2019年歌集『肌に流れる透明な気持ち』、2020年短歌詩集『満ちる腕』を刊行。ファッションブランド「ZUCCa」2020AWムックや、PARCOオンラインストアの2020春夏キャンペーンビジュアル、雑誌『BRUTUS』『装苑』等に短歌を制作。2021年浦和PARCOリニューアルコピーを担当。過去連載に写真家・濱田英明氏の写真に言葉を書く、靴下屋「いろいろ、いい色」。(Instagram/Twitter)
Photo | Ryo Tsuchida
やわらかい肌触りにこだわり、太い糸を甘く撚り、しっかりと織り上げた贅沢なボリューム感。タオルの名産地・今治からお届けするホテルライクなタオルです。