bar bossa林さんの連載小説『タオル越しの、あの人 vol.7』
2019.04.18
楽しむ東京・奥渋谷に佇むbar bossa。店主の林伸次さんは、カウンター越しにたくさんのお客さまの人生を見てきました。
泣いたり、安心したり、汗をかいたり、眠ったり…生きているといろんな瞬間が訪れます。ちょっと目を向けてほしいのが、どの場面にもひっそりと、柔らかいタオルがあるということ。タオルは大切な瞬間、あなたの傍らにいるんです。
そんな『タオル越しの、あの人』の物語を、林さんが書き下ろします。今回は、時代の節目にふさわしい「贈り物」のお話。
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店長会議で、本部の部長がこう言った。
「4月のセールのテーマは『平成最後のセール』です。みなさん、それぞれの店舗ならではの『平成最後のセール』をイメージした品ぞろえを考えてください」
僕は都内に8店舗あるセレクト生活雑貨チェーン店で、自由が丘店の店長をしている。この店は、各店の店長に裁量権が与えられていて、「豊かな暮らし」というコンセプトから外れなければ、セレクトや値付けも自由に行っていい。自由なぶん、各店舗が売り上げやセンスを競い合うというユニークな構造になっている。
今回の部長の「平成最後のセール」というテーマも、部長がときどき投げてくる「このテーマであなたたち店長はどんな品ぞろえをするのか、楽しみにしてるよ」というメッセージでもあるわけだ。
平成――バブル崩壊から始まりデフレ、リーマンショック、携帯電話とインターネット…平成は「モノが売れなくなった時代」だと、僕は思う。
でも僕たちの雑貨店は、年々売り上げを伸ばしている。理由は、「贈り物需要」を主軸に商品を展開しているからだ。
どれだけ景気が悪くなっても、みんな誕生日や結婚記念日、母の日や父の日の贈り物を安くすませようとは思わない。ふだんはちょっと高くて買えないような、そして「贈られた人」が喜んでくれるような商品を買っていく。
そうだ。僕の「平成最後のセール」は、「平成から次の時代への贈り物」にしよう。平成は景気が悪かったといっても、やっぱり昭和やそれ以前と比べて「本当の豊かさ」というのを知った時代だと思う。
いろんな災害もあったけど、僕たちはひとつになって、ボランティアや寄付をして、海外からも支援を受けて、また平和な生活を取り戻してきた。
文字どおり、「平成という時代の良いもの」を次の時代への贈り物にしよう。
僕は自由が丘店のスタッフ2人にこういう宿題を出してみた。
「今度の自由が丘店のセールは『平成から次の時代への贈り物』をテーマにしようと思うんだ。2人も、何か選んできてもらえるかな」
***
次の日。副店長の佐藤さんはこう言った。
「冬に家族で食べるお鍋セットです。受験前で神経質なときも、お母さんと喧嘩したときも、弟が反抗期のときも、お鍋が私の家族を助けてくれました。私はこれを次の時代に贈りたいです」
最近社員になったばかりで、がんばり屋のエミちゃんはこう言った。
「靴磨きです。私のお父さんが、人は靴で決まるっていつも言ってて、日曜日にはみんなで靴を磨くんです。ピカピカの革靴を履くと、人は自信を持って歩けます。靴磨きセットを、私は次の時代に贈りたいです」
次は、僕がセールに用意する商品を発表する番だ。
20代前半のころ、本物の恋をした。年上の女性で、僕が恋に落ちたときには、すでに婚約者がいた。僕は、いつか自分のお店を持ちたくて小さな雑貨店でバイトをしているフリーターで、彼女はそこの店長だった。そして彼女の婚約者は、海外から生活雑貨を輸入する商社を経営していた。
その婚約者は男の僕が見てもとても素敵な人で、たまに店長がいないときに、「良い品物の見わけ方」や「輸入商社との値段交渉の方法」なんかを、僕に丁寧に教えてくれた。
しかしその婚約者の彼はずっと外国と日本を行ったり来たりしていたので、店長は彼とめったに会えなかった。
***
ある春の日、お店が終わったあと、珍しく店長が僕を近所の居酒屋に誘ってくれた。僕は店長に本気で恋をしていたのでうれしくて、うれしくてしょうがなかった。
店長はとても美しかった。ベージュのトレンチコートを脱ぐと赤いセーターを着ていて、それは白い肌と黒いボブの髪にとても似合っていた。
僕はそんな店長と、料理をはさんでビールを飲めるだけで幸せだった。もちろん店長があの人と結婚することは頭ではわかっていたけど、こうやって2人だけで過ごす時間が、当時の僕には幸せだった。
その年のゴールデンウィークの営業日と、今後の話をしていると、店長が突然「また結婚式が延期になってしまったの」と言った。店長は基本的にしっかりしていて、僕にはとても厳しい人だったから、突然そんな話をされて、僕はちょっと困ってしまった。
「彼、私より仕事が大切なんだよね。そんなのわかってたんだけどね。ねえ、渡辺くんは好きな女性はいるの?」
「あ、はい。います、いますよ」
「その人、どんな人?」
「とても美しい人です」
「そうかあ。惚れてるんだなあ。良いなあ。その人のこと、泣かしたりしちゃダメだぞ」
店長はそう言うと、鞄から小さいタオルを出して、涙をぬぐった。
「ダメだ。私、こんなタオルを持ち歩いているから泣いちゃうんだ。タオルがなければ、泣くのを我慢できるもんね。渡辺くん、このタオル、あげる。彼のイギリスのおみやげなんだけど、すごく良いタオルよ。でも、渡辺くんはその好きな人のこと、泣かしちゃダメだぞ」
「はい、泣かせません。このタオルいただきます、大切にします。そして僕は、好きな女性は泣かせないって、このタオルに誓います」
「渡辺くんは真面目で良いね。渡辺くんが思いを寄せる女性が、羨ましいよ」
結局、店長に恋心は伝えられないまま、その1年後に店長は婚約者と結婚して僕の恋は終わった。
あれから何度か恋のようなものはしたのだけど、店長のような素敵な女性には出会えていない。
僕は平成最後のセールの商品にタオルを選ぼうと決めた。副店長の佐藤さんと社員のエミちゃんに「どうしてタオルなんですか?」と質問されて、僕はこう答えた。
「好きな人の涙を拭かないタオルを、次の時代に贈りたいから」
2人は「店長、全然意味がわかりません。何かあったんですね。詳しく教えてください」と言ったけど、恥ずかしいので許してもらった。
平成が終わろうとしている。
僕たちの思い出や、大切にした平成の良いものが、次の時代に伝わりますように。
これまでの『タオル越しの、あの人』は、コチラ
bar bossaバーテンダー
林伸次さん
1969年徳島県生まれ。レコード屋、ブラジル料理屋、バー勤務を経て、1997年渋谷にbar bossaをオープンする。2001年、ネット上でBOSSA RECORDSをオープン。選曲CD、CD ライナー執筆多数。『カフェ&レストラン』(旭屋出版)、『cakes』で、連載中。著書『バーのマスターはなぜネクタイをしているのか』(DU BOOKS)、『恋はいつもなにげなく始まってなにげなく終わる。』(幻冬舎)。韓国人ジノンさんとのブログ。
林さんのTwitter(@bar_bossa )。
1969年徳島県生まれ。レコード屋、ブラジル料理屋、バー勤務を経て、1997年渋谷にbar bossaをオープンする。2001年、ネット上でBOSSA RECORDSをオープン。選曲CD、CD ライナー執筆多数。『カフェ&レストラン』(旭屋出版)、『cakes』で、連載中。著書『バーのマスターはなぜネクタイをしているのか』(DU BOOKS)、『恋はいつもなにげなく始まってなにげなく終わる。』(幻冬舎)。韓国人ジノンさんとのブログ。
林さんのTwitter(@bar_bossa )。